
監修者
株式会社日本提携支援 代表取締役
大野 駿介
過去1,000件超のM&A相談、50件超のアドバイザリー契約、15組超のM&A成約組数を担当。
(株)日本M&Aセンターにて、年間最多アドバイザリー契約受賞経験あり。
新規提携先の開拓やマネジメント経験を経て、(株)日本提携支援を設立。
株式を売ったのに、手元に残った金額が想定よりずっと少なかった——M&Aを終えた経営者から、こうした声を聞くことがあります。成約価格の交渉には熱心でも、「手元にいくら残るか」を事前に試算していなかったというケースは、決して少なくありません。M&Aの税務は、相手探しを始める前から理解しておくべき実務の核心です。この記事では、売り手経営者がM&Aの税務について押さえておくべき基本的な仕組みと、手取り額に直結する判断軸を整理します。
1. M&Aの税務が「手取り額」を左右する理由
M&Aで受け取る対価は、そのまま手元に残るわけではありません。譲渡の方法や会社の状況によって適用される税目が異なり、最終的な手取り額は大きく変わります。経営者が「いくらで売れるか」だけを気にして「いくら手元に残るか」を後回しにすると、成約後に大きな後悔につながります。
M&Aの税務を理解する出発点は、「どのスキームで売るか」によって課税の構造が根本的に変わるという点です。中小企業のM&Aで最も多く使われるのは株式譲渡ですが、事業譲渡という選択肢もあります。それぞれで課税の仕組みが異なるため、スキームの選択自体が税務上の重要な意思決定になります。
1-1. 株式譲渡における課税の仕組み
株式譲渡とは、オーナー経営者が保有する自社株式を買い手に売却する方法です。売り手個人が受け取る譲渡対価から株式の取得費用(取得価額)と売却にかかった費用を差し引いた「譲渡所得」に対して、所得税・住民税が課税されます。
非上場株式の場合、申告分離課税が適用され、税率は所得税15%・住民税5%の合計20%(復興特別所得税を含めると約20.315%)です。譲渡益が1億円であれば、約2,000万円が税負担となる計算です。
株式の取得価額は、自分で設立した会社であれば出資時の払込金額が基準になります。長年経営してきた会社の場合、取得価額が非常に低い、あるいは記録が残っていないケースも多く、その場合は売却額の5%を取得価額とみなす「概算取得費」の規定が適用されることがあります。この場合、譲渡益が大きくなるため税負担も増えます。
1-2. 事業譲渡における課税の仕組み
事業譲渡とは、会社の事業そのものを売却する方法です。まず会社(法人)が事業の譲渡益に対して法人税等を納め、その後に残った利益を株主であるオーナーが配当や清算分配として受け取る際に、さらに個人への課税が生じます。つまり、法人税と個人課税の二重課税が発生しやすい構造です。
また、事業譲渡では売却する資産・負債を個別に特定するため、不動産や車両などの固定資産には消費税が課税される場合があります。このように事業譲渡は税務上の負担が複層的になりやすく、売り手にとっては株式譲渡より手取りが少なくなるケースが多い傾向があります。
2. 「のれん」の評価と税務の関係
M&Aの税務を語るうえで外せないのが、のれん(営業権)の扱いです。中小企業のM&Aでは、企業価値の算定に「時価純資産+営業権」という方式がよく使われます。時価純資産とは資産から負債を差し引いた正味の財産価値で、営業権とはその会社が持つ収益力・ブランド・顧客基盤などの目に見えない価値です。
税務上、のれんは買い手側の処理として一定期間の均等償却が認められるケースがあります。買い手にとってのれんが償却できることは投資回収の見通しに影響するため、M&Aの交渉においてスキーム選択の一因になることもあります。
売り手の立場では、のれんの評価額が高いほど売却対価が大きくなり、それだけ税務上の譲渡益も増えます。しかし、のれんの評価は担当者の力量によって大きく変わります。NTSの現場では、経費の「足し戻し」処理が甘いために実体収益力が低く見積もられ、結果として成約価格が抑えられてしまうケースを繰り返し見てきました。
たとえば、オーナーの資産管理会社への業務委託料や私的な交際費が経費として計上されたままになっていると、会社の実質的な利益が低く見えます。これらを適切に調整(足し戻し)すれば実体営業利益が上がり、のれんの評価額も増えます。税務上の課税額は増えますが、それ以上に売却対価が増えることで手取り額が改善するケースは少なくありません。
3. デューデリジェンスにおける税務調査の実態
M&Aのプロセスでは、基本合意後に買い手が「デューデリジェンス(DD:企業調査)」を行います。DDの中でも税務DDは、過去の申告漏れ・税務上の問題点・各種引当金の適切性などを確認するプロセスです。
税務DDで問題が発覚すると、価格の引き下げや条件変更の交渉材料にされることがあります。よくある指摘事項としては、未払法人税や消費税の申告漏れ、役員報酬の過大計上、交際費の損金算入限度超過、税務調査の未解決事項などが挙げられます。
NTSでは、売り手経営者の方にDDの準備段階から「指摘が出そうな論点を事前に把握しておくこと」をお伝えしています。過去に税務調査で指摘を受けた事項や、申告処理に曖昧な部分がある場合は、DD前に顧問税理士と確認しておくことが重要です。問題を隠すのではなく、事前に整理して説明できる状態にしておくことで、交渉の主導権を保ちやすくなります。
3-1. 表明保証と税務リスクの関係
最終契約書に盛り込まれる「表明保証」条項は、税務とも深く関わります。表明保証とは、売り手が「会社の財務・税務・法務上の状態について事実と異なる点はない」と保証する条項です。
税務申告の正確性・未払税金の有無・税務調査の結果などについて表明保証を行い、後日それが事実と異なることが判明した場合には、売り手が補償責任を負うことになります。成約後に税務調査が入り、過去の申告漏れが発覚した場合の追徴課税リスクも、表明保証の範囲と補償期間によっては売り手の負担になりえます。
最終契約書の表明保証条項は、M&Aに精通した弁護士に必ずレビューしてもらうことをお勧めします。特に「どの期間の税務事項を保証するか」「補償額の上限はいくらか」「補償期間はいつまでか」という3点は、売り手にとって将来の経済的リスクに直結する重要事項です。
4. 売り手が知っておくべき「退職金」活用の税務メリット
M&Aの税務において、売り手経営者が活用を検討できる手法の一つが役員退職金です。M&A成約のタイミングで会社から役員退職金を受け取ることで、個人の手取りを増やしながら会社の法人税負担を軽減できる場合があります。
役員退職金は、一定の計算式(最終月額報酬×勤続年数×功績倍率)の範囲内であれば損金算入が認められます。受け取る個人側では「退職所得」として扱われ、退職所得控除が適用されるうえ、課税対象額が2分の1になる優遇措置があります。このため、同額を給与や配当で受け取るよりも税負担が大幅に軽くなるケースがほとんどです。
ただし、退職金の金額が「不相当に高額」と判断された場合は損金算入が否認されるリスクがあります。金額の妥当性については顧問税理士と慎重に検討することが必要です。また、退職金の支払いによって会社の純資産が減少するため、M&Aの成約価格(株式価値)にも影響します。退職金をいつ・いくら支払うかは、M&Aのスキームと連動して設計する必要があります。
弊社では、売り手経営者の方が税務面の選択肢を理解したうえで交渉に臨めるよう、アドバイザリー契約前の段階から税務の基本的な論点についてもご説明しています。
5. 手取り額を最大化するための5つの判断軸
M&Aの税務において、売り手が手取りを最大化するために意識すべき判断軸を整理します。
1つ目は、スキームの選択です。株式譲渡と事業譲渡では税務上の負担が大きく異なります。一般的に売り手にとっては株式譲渡のほうが有利なケースが多いですが、会社に多額の含み損資産がある場合や特定事業だけを売りたい場合など、事業譲渡が合理的な選択になる場面もあります。顧問税理士と早期に相談し、自社の状況に合ったスキームを検討することが重要です。
2つ目は、企業価値算定の精度です。のれんの評価に影響する実体営業利益の計算は、担当者の力量に左右されます。NTSが支援したあるケースでは、オーナー個人の経費が会社の損益に混在していたため、適切な調整を行うことで実体収益力が改善し、最終的な成約価格が当初の見込みより大きくなりました。こうした調整作業を丁寧に行えるアドバイザーを選ぶことが、手取り最大化の第一歩です。
3つ目は、買い手の選定です。買い手によって提示する対価の水準が異なるのは、買収後のシナジー(相乗効果)の大きさが違うからです。同じ会社でも、シナジーが高い買い手からは高い評価額を引き出せる可能性があります。税務上の課税額は売却益に連動して増えますが、それ以上に対価が増えれば手取りは改善します。「税金を減らすこと」より「対価を増やすこと」のほうが、手取り最大化に直結するケースも多いのです。
4つ目は、退職金の設計です。前述のとおり、役員退職金は適切に設計すれば個人の税負担を抑えながら手取りを増やす有効な手段になります。ただし成約価格への影響もあるため、支払時期・金額ともに顧問税理士とM&Aアドバイザーが連携して設計することが欠かせません。
5つ目は、スケジュールの設計です。退職金の支払時期、決算期との関係、個人の所得状況などを考慮したうえで成約のタイミングを設計することで、税負担を合理的な範囲に抑えることができます。これは顧問税理士とM&Aアドバイザーが連携して取り組むべき領域です。
6. まとめ
M&Aの税務は、スキームの選択・のれんの評価・デューデリジェンスへの対応・表明保証の設計・退職金の活用など、複数の論点が絡み合う複雑な領域です。「成約価格がいくらか」だけでなく、「手元にいくら残るか」を成約前から意識して準備を進めることが、後悔のないM&Aにつながります。
弊社では、600件以上の相談実績と地方自治体との連携協定を通じて培ってきたノウハウをもとに、税務面を含めたM&Aの全体設計を支援しています。顧問税理士との連携が必要な局面では、適切な専門家へのつなぎも含めてサポートしており、売り手経営者が孤立せずに意思決定できる環境づくりを大切にしています。
M&Aについてご不明な点や不安なことがあれば、些細なことでも構いません。ぜひ一度、NTSにご相談ください。
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