
監修者
株式会社日本提携支援 代表取締役
大野 駿介
過去1,000件超のM&A相談、50件超のアドバイザリー契約、15組超のM&A成約組数を担当。
(株)日本M&Aセンターにて、年間最多アドバイザリー契約受賞経験あり。
新規提携先の開拓やマネジメント経験を経て、(株)日本提携支援を設立。
「自社はいくらで売れるのか」。M&Aを検討し始めた経営者が最初に抱くこの問いに、実は一つの正解はありません。同じ会社でも、誰が買うかによって評価額は大きく変わります。これがバリュエーション(企業価値算定)の本質であり、M&Aを進めるうえで最も理解しておきたいテーマの一つです。この記事では、バリュエーションの基本的な考え方から中小企業のM&Aで使われる具体的な手法、そして算定結果を左右する実務上のポイントまで、現場の視点を交えながら解説します。
1. バリュエーションとは何か
バリュエーションとは、企業の経済的な価値を数値として算定するプロセスのことです。M&Aにおいては「この会社をいくらで買うか・売るか」の根拠となる数字を導き出すために行われます。
一般的に「株価」といえば上場企業の市場価格を思い浮かべますが、中小企業の株式には市場が存在しません。そのため、財務データや事業の収益力、保有資産の状況などをもとに、専門家が独自に算定する必要があります。バリュエーションとは、その算定作業全体を指す言葉です。
M&Aのプロセスの中では、売り手側が企業概要書(IM)を作成する前後のタイミングで企業価値算定が行われ、その数値がトップ面談や基本合意(LOI:Letter of Intent)における価格交渉の出発点となります。バリュエーションは単なる「値付け」ではなく、買い手と売り手が同じテーブルで話し合うための共通言語といえます。
1-1. 「企業価値」と「株式価値」の違い
バリュエーションの文脈では、「企業価値」と「株式価値」という二つの概念が登場します。企業価値(EV:Enterprise Value)は事業全体の価値を指し、借入金などの有利子負債を含めた概念です。一方、株式価値は企業価値から有利子負債を差し引いたもので、株主が受け取れる価値に相当します。
中小M&Aで「いくらで売れるか」を考えるとき、実質的に問題になるのは株式価値です。売り手経営者が手にする譲渡対価は、この株式価値をもとに決まります。
2. 中小M&Aで使われる主な算定手法
バリュエーションには複数の手法があり、案件の規模や性質によって使い分けられます。中小企業のM&Aでは、主に以下の3つが活用されます。
2-1. 時価純資産+営業権(のれん)法
中小M&Aで最も広く使われている手法です。企業の「資産価値」と「収益力」を組み合わせて株式価値を算出します。
計算の流れは次のとおりです。まず貸借対照表(BS)を時価ベースに修正して時価純資産を算出します。次に損益計算書(PL)と販売管理費の明細を精査し、オーナー個人の経費や一時的な費用を「足し戻す」ことで実態に近い営業利益(実体営業利益)を導きます。そして、その実体営業利益に倍率(目安として2〜3倍)を掛けた金額を「営業権(のれん)」として時価純資産に加算します。
式で表すと「株式価値 ≒ 時価純資産 + 実体営業利益 × 倍率」となります。この手法のポイントは、のれんの計算に使う倍率と実体営業利益の算出精度が、最終的な株式価値に直接影響するという点です。
2-2. EV/EBITDA倍率法
EV/EBITDA倍率法は、上場企業や類似取引と比較することで企業価値を算出するマーケットアプローチの一種です。EBITDA(イービットダー)とは、税引前利益に支払利息・減価償却費を加算した指標で、事業が生み出すキャッシュ創出力を表します。
この手法は、投資ファンドや上場企業が買い手となる案件でよく使われます。業界ごとの平均倍率を参照することで、市場実勢に近い評価が可能になります。ただし、類似企業のデータが少ない業種や地方の中小企業では、比較対象を見つけにくいという実務上の課題もあります。
2-3. DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュフロー法)
DCF法は、会社が将来生み出すキャッシュフローを予測し、現在価値に割り引いて企業価値を算出する手法です。理論的な精緻さが高く、大型案件やスタートアップ、事業再生案件などで活用されます。
ただし中小企業のM&Aでは、将来の業績予測の不確実性が高く、また事業計画の作成に慣れていない企業も多いため、DCF法が主軸になるケースは多くありません。将来予測の前提が変わるだけで算定結果が大きく動くため、補完的な指標として使われることが一般的です。
3. 算定結果を大きく左右する「足し戻し」の技術
バリュエーションの中で実務上の差が最も出やすいのが、実体営業利益の算出、とりわけ「足し戻し」の精度です。
時価純資産の計算は会計的なルールに従うため、担当者によって大きな差は生じにくいです。しかし、のれんの計算に使う実体営業利益は、PLと販管費の明細を丁寧に読み込み、本来の収益力を適切に引き出せるかどうかで数値が変わります。
経験の浅い担当者が見落としやすい足し戻しの例として、次のようなものがあります。
■ ・資産管理会社への業務委託料
実態としてオーナー個人の資産管理費用であるにもかかわらず、そのまま費用として計上されてしまうケースがあります。
・接待交際費の調整漏れ: 私的な飲食費が含まれているにもかかわらず適切に調整されず、利益が低く見積もられることがあります。
・グループ会社からの仕入れ: 利益上乗せ価格で仕入れている場合、本来の収益力を下げる要因として見落とされることがあります。
弊社では、こうした足し戻し漏れが売り手にとって不利な算定結果につながるケースを多数見てきました。「誰がバリュエーションを行うか」が最終的な手取り額に影響することを、経営者の方にはぜひ知っておいていただきたいと思います。
4. 同じ会社でも買い手によって価格は変わる
バリュエーションにおいてもう一つ重要な視点が、買い手のシナジー(相乗効果)によって提示価格が変動するという事実です。未上場株には市場価格がないため、「この会社をいくらで買うか」は買い手ごとの投資ロジックに左右されます。
同業の大手企業が買い手になる場合、既存顧客へのクロスセルや人員効率化など、買収後に早期回収が見込めるため高い倍率を許容できます。一方、投資ファンドは財務的なリターンを重視するため、倍率は相対的に低くなる傾向があります。
これはつまり、バリュエーションで算出した理論値はあくまでも出発点であり、最終的な成約価格は「どの買い手に、どのようなシナジーを説明できたか」によって決まるということです。弊社では、買い手候補に対してシナジーの仮説を丁寧に説明し、より高い評価を引き出すことを支援の重要な柱の一つと考えています。
弊社が支援したあるケースでは、同業他社が買い手となったことで、当初想定していた倍率を超える条件での成約が実現しました。買い手探しの質と幅が、バリュエーションの結果を実質的に左右するという好例です。
5. バリュエーションと税務・手取り額の関係
売り手経営者にとって重要なのは、バリュエーションで算出された株式価値がそのまま手取り額になるわけではないという点です。
株式譲渡の場合、譲渡益(売却価格から取得費用を差し引いた金額)に対して約20.315%の税金(所得税・住民税・復興特別所得税)が課されます。また、成約価格の算定ベースが「負債を含む移動総資産額」なのか「純粋な譲渡対価」なのかによって、M&A支援会社への手数料の計算方法も変わります。
バリュエーションの数字を見るときは、税引後の手取り額と手数料を含めた総コストを合わせて確認することが不可欠です。この点を事前に整理しておかないと、「思ったより手元に残らなかった」という結果になりかねません。顧問税理士や専門家への事前相談を、早い段階で行うことをお勧めします。
6. バリュエーションを適切に進めるために準備すべきこと
バリュエーションの精度を高めるためには、財務データの整備が土台になります。M&A支援会社への相談時には、直近3〜5期分の決算書・税務申告書、前期末以降の月次試算表、取引先・商品別の売上内訳、銀行借入金の返済予定表などを準備しておくと、算定作業がスムーズに進みます。
特に月次試算表は、直近の収益トレンドを把握するうえで重要な資料です。決算書だけでは見えない季節変動や足元の業績変化を、買い手は重視します。
また、オーナー個人に関連する経費(役員報酬・社用車・生命保険料など)を整理しておくと、実体営業利益の算出がより正確になります。弊社では相談の初期段階からこうした資料の整備をサポートしており、「何を準備すればよいかわからない」という段階からでも対応しています。
