
監修者
株式会社日本提携支援 代表取締役
大野 駿介
過去1,000件超のM&A相談、50件超のアドバイザリー契約、15組超のM&A成約組数を担当。
(株)日本M&Aセンターにて、年間最多アドバイザリー契約受賞経験あり。
新規提携先の開拓やマネジメント経験を経て、(株)日本提携支援を設立。
「売却」という言葉を聞いたとき、どんな場面を思い浮かべるでしょうか。廃業、撤退、あるいは経営の失敗——そうしたイメージを持つ経営者は、今も少なくありません。しかし弊社に寄せられる相談の現場では、売却を選んだ経営者の多くが「もっと早く動けばよかった」と口にします。事業を終わらせるためではなく、事業を守り、次の担い手に渡すための手段として、会社の売却を捉え直すことが、納得のいく結果への第一歩です。
この記事では、M&Aにおける売却の意味と基本的な仕組みから、プロセスの全体像、価格が決まる仕組み、売り手が陥りやすい誤解、そして支援会社の選び方まで、弊社の相談現場から得た視点を交えながら解説します。
1. 売却とは何か——M&Aにおける「売却」の正確な意味
会社の売却とは、自社の株式や事業を第三者に譲渡することで、経営権を移転する行為です。M&A(Mergers and Acquisitions:合併・買収)の手法のひとつとして位置づけられ、中小企業の場合は「株式譲渡」という形式が最も一般的です。
株式譲渡では、オーナーが保有する自社株式を買い手に売却し、会社の所有権ごと移転します。会社そのものは存続したまま株主が変わるため、取引先との契約や従業員の雇用関係は基本的にそのまま引き継がれます。「会社が消える」わけではなく、「経営する人が変わる」というのが実態です。
売却の動機は、経営者によってさまざまです。後継者がいないために事業を次世代に継承したい、体力的・精神的な限界を感じている、資金を得て別の事業に集中したい、あるいは会社の成長を加速させるために大きな資本力を持つ企業の傘下に入りたい——いずれも「事業を終わらせる」ためではなく、「事業をより良い形で続けるため」という動機が根底にあります。
1-1. 株式譲渡と事業譲渡の違い
売却の手法には大きく分けて「株式譲渡」と「事業譲渡」の2種類があります。
株式譲渡は会社全体を売却する方法で、許認可・契約・従業員関係がそのまま引き継がれる点が特徴です。手続きが比較的シンプルで、事業の継続性を保ちやすいため、中小企業のM&Aでは主流の手法です。
事業譲渡は、会社の中から特定の事業や資産だけを切り出して売却する方法です。売りたい部分だけを選べる柔軟性がある反面、個別の契約や許認可を改めて取得・移転する手続きが必要になるケースが多く、手間とコストがかかります。どちらの手法が適切かは、売却の目的や会社の構造によって異なるため、早い段階で専門家に確認することをお勧めします。
2. 売却プロセスの全体像——何をどの順番で進めるか
売却が決まってから成約まで、一般的には6ヶ月から1年以上かかることも珍しくありません。「すぐに売れる」という認識のまま進めると、準備不足で条件を妥協せざるを得なくなります。プロセス全体を事前に把握しておくことが、納得のいく売却への第一歩です。
主なステップは以下のとおりです。
まず「相談・アドバイザリー契約」として、M&A支援会社(仲介会社またはFA会社)に相談し、自社の状況を共有した上で正式に依頼契約を結びます。次に「企業価値算定・資料作成」として、自社の財務状況や事業特性をもとに株式価値を算定し、買い手候補に提示するノンネームシート(匿名の会社概要)や企業概要書(IM)を作成します。
その後「候補先探索・ネームクリア」として、買い手候補のリストを確認し、開示許可を得た企業に対して情報提供を行います。関心を示した買い手との「トップ面談」を経て、条件が合えば「基本合意書(LOI)」を締結します。基本合意後は「デューデリジェンス(DD:企業調査)」が実施され、財務・税務・法務・労務など多角的な調査が行われます。調査結果をもとに「最終契約・クロージング」を経て、株式の引き渡しと代金の決済が完了します。
2-1. 準備が早いほど有利になる理由
弊社では、売却を検討し始めた段階でまず「自社にどんな買い手が関心を持つか」「いくらで売れそうか」「今が適切なタイミングか」を確認することをお勧めしています。着手金無料・非専任の支援会社を活用して市場の反応を探ることも、有効な選択肢のひとつです。
準備に時間をかけられると、担当者の選定や希望条件を満たす買い手探しに十分なリソースを使えるようになります。逆に急いで進めると、買い手候補が絞られた状態で条件交渉に入ることになり、結果として価格や雇用条件で妥協を強いられるリスクが高まります。「まだ先の話」と思っているうちに、経営者自身の健康状態や市場環境が変わってしまうケースも少なくありません。動き出すタイミングは、早すぎるということはありません。
3. 売却価格はどう決まるか——企業価値算定の仕組み
「自分の会社はいくらで売れるのか」は、多くの経営者が最初に気になる点です。中小企業のM&Aで最も一般的に使われるのは「時価純資産+営業権(のれん)」という算定方法です。
計算式で表すと「株式価値 ≒ 時価純資産 + 実体営業利益 × 倍率」となります。時価純資産とは、会社の資産から負債を差し引いた正味の財産です。営業権(のれん)は、その会社が将来にわたって生み出す収益力に対して買い手が支払う「プレミアム」であり、実体営業利益に2〜3倍程度の倍率をかけて算出するのが一般的です。
ただし、この倍率は買い手によって大きく異なります。同業の大手企業や、自社とシナジー(相乗効果)が見込める買い手であれば、より高い倍率を許容できます。投資ファンドのような財務的な投資家は、一般的に保守的な倍率を提示します。つまり「誰に売るか」が、最終的な価格を大きく左右するのです。
3-1. 担当者の力量で株価が変わる理由
時価純資産の計算自体はどの支援会社が行っても大きな差は出ません。しかし、のれんの計算に使う「実体営業利益」は、担当者の力量によって変わり得ます。
たとえば、オーナーの個人的な資産管理に関連する費用が経費として計上されていれば、それを足し戻すことで実体的な利益は増加します。接待交際費に含まれる私的な飲食費の調整も同様です。グループ会社との取引で利益が圧縮されているケースも、見落とされやすい項目のひとつです。こうした調整を丁寧に行うかどうかで、最終的な手取り額に差が生じることがあります。
弊社では、支援会社を選ぶ際に「担当者が自社業種の調整項目を理解しているか」を必ず確認することをお勧めしています。同じ会社でも、担当者が変わるだけで算定結果が変わる——これは現場でたびたび目にする現実です。
4. 売り手が知っておくべき「よくある誤解」
売却を初めて検討する経営者の方には、事前に解消しておいてほしい誤解がいくつかあります。
■ 言い値で売れるという誤解
実際の価格は財務状況・収益性・市場環境・事業リスクなど客観的な要素で算定されます。希望額をそのまま実現できるケースは少なく、根拠のある価格設定が交渉の土台になります。
■ 価格が全てという誤解
売却後の従業員の雇用継続、取引先との関係、自身の関与期間など、金額以外の条件も同等かそれ以上に重要です。弊社では、事業と従業員を守るための「責任ある引き継ぎ方」を決めることが売却のゴールだと考えています。
■ 上場大手の支援会社なら安心という誤解
M&Aの成否は会社の規模よりも担当者個人の経験・知識・交渉力に左右されます。大手でも新人担当者が担当すれば手続きが滞ることがあり、中堅の支援会社でも経験豊富な担当者であれば高品質なサポートが期待できます。
■ 一度依頼したら途中でやめられないという不安
基本合意書の締結前であれば法的拘束力はほぼなく、柔軟に対応できます。「相談してみたら断れなくなった」という状況は、適切な支援会社であれば起こりません。
5. 支援会社の選び方——売却結果を左右する最重要ポイント
売却の成否を決める最大の要因のひとつが、どのM&A支援会社・どの担当者と組むかです。支援会社には「仲介会社」と「FA(ファイナンシャル・アドバイザー)会社」の2種類があります。
仲介会社は売り手・買い手の双方と契約し、スピーディに幅広い買い手を探せる反面、双方の利益を調整する立場のため、売り手の条件を最優先に動いてもらいにくい場面もあります。FA会社は売り手または買い手の一方のみと契約し、依頼した側の条件を第一に考えて交渉にあたります。
支援会社を選ぶ際に確認すべき主なポイントは次のとおりです。
・担当者の成約実績(自社に近い業種・エリア・規模での実績があるか)
・手数料体系の透明性(最低報酬額・着手金・テール条項の有無)
・買い手候補の具体性(どのような企業にどのようなアプローチをするか)
・「とにかく成約させたい」ではなく、条件を一緒に吟味してくれる姿勢があるか
弊社(NTS)では、M&A仲介会社ではなくM&A窓口という立場で、希望条件の整理から最適な支援会社の紹介・成約までを無料で伴走支援しています。M&A支援実績が豊富「業界に精通している」「買い手候補先を持っている」という3条件を満たす担当者をご紹介することを基本方針としています。
弊社が支援したケースでは、大手M&A会社に依頼したものの手数料が高額で断念していた運送業の経営者が、弊社経由で改めて支援会社を選び直し、M&Aを実現されました。また、菓子製造業の経営者は、直接相談した会社の担当者に業種知見が乏しく不安を感じていたところ、弊社経由で同業の成約実績を持つ担当者に切り替えて成約に至っています。「誰に依頼するか」が結果を大きく左右することは、現場で繰り返し確認してきた事実です。
6. 売却後の従業員・自身の処遇について
売却を検討する経営者の多くが「従業員はどうなるのか」という点を最も気にされます。多くの買い手は従業員の継続雇用を強く希望しており、給与についても現行と同等以上を維持する方向で交渉するのが一般的です。
売却後のオーナー自身の関与については、役員・社長として残るパターン、会長として一定期間関与した後に退任するパターン、従業員として残るパターンなど、意向に応じた形を提案できます。代表権については原則として買い手企業の意向を尊重しますが、働き方や関与期間については交渉で調整が可能です。「売ったら即引退しなければならない」ということはありません。
連帯保証の解除については、最終契約の絶対条件として明記することが重要です。「解除を約束してもらったが実際には外れなかった」というトラブルを防ぐため、最終契約書の文言を弁護士と確認することをお勧めします。口頭での約束は、どれだけ信頼関係があっても契約書上の根拠にはなりません。
